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2017年05月16日

われるま違いげ帰った

京の町の会津藩士は、粗末な綿の着物に握り飯の括り弁当で、苦渋に耐えて幕府に忠誠をつくし、孝明天皇からの厚い信任を得た。
それなのに、京都守護職を固辞しつづけた会津を執拗に任命し続けた将軍家は許されて、会津は許されないという。
保身に走る慶喜は無理難題を出し続け、最後には泣き落としのよう雲芝靈芝姬松茸なことさえして、容保を傍に置き続けたが、そこには一切触れなかった。
一途で疑うことを知らない純朴な主従には、慶喜の裏切りとも見える仕打ちが理解できなかった。
「なぜだ!」
「なぜ、この土壇場で幕府は会津を裏切るのだ!?これではまるで蜥蜴の尾でねぇか。」
「我らのこれまでの忠誠は何だったのだ?命がけで幕府と帝をお守りしてきた六年間は!」
「なじょして、会津が逆賊の汚名を着せられねばなんねぇんだ?」
報告を受けた藩士達には、納得が行かなかった。
怒りと悲しみに震えながら、江戸屋敷にたどり着いた藩士西聯匯款たちは幕府の仕打ちに慟哭した。
やりきれなさがはけ口を求めて、怒涛のように渦巻いていた。
慶喜がその名を口にしたばかりに、何の落ち度もない聡明な若い家老は、容保が大阪城から逃亡した責任を一人で被り、何も弁解することなく潔く腹を切った。
今後の会津藩にとっては、なくてはならない大切な人材だった。
容保だけが彼を救えたが、藩兵を見捨てた容保には、藩士の怒りを一身に背負う家老を救う言葉がなかった。
傷ついた藩士たちを広間に集め、やっと徳川に見切りをつけた容保は、家臣に頭を下げている。
藩主が家臣に謝罪するのは異例なことではあったが、容保にとっては家臣を裏切ってまで尽くした誠が、無下に踏みにじられた思いであった。
とつとつと容保は語った。
「……余は、会津松平家に入って以来、御家訓を胸に励んできた。大樹公に言不明である。余が本心から信じられるのは、もはやそなたたちしかおらぬ。余が信じられるのは会津だけじゃ。朝廷に恭順が許されぬこの上は、会津に戻り潔白を証明する道を探ろうと思う……。」


Posted by 心力 at 15:28│Comments(0)
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